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第111号 『コラム〜後藤田正晴の地域戦略〜』

身近な話題から勝ち方の原理原則を考えるコラム
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■ランチェスターで斬る〜後藤田正晴の地域戦略〜■■■
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▼カミソリといわれた男▼


後藤田正晴は戦前の内務官僚の出身で戦後、警察官僚となりよど号、浅間山荘など過激派活動がピークに達した1970年代初頭、警察庁長官を務めました。

1972年、田中内閣のとき内閣官房副長官(事務)に就任。
この役職は官僚の頂点といわれる役職で、田中の懐刀として辣腕を奮います。

その後、政界入り。当選回数万能時代にあって、後藤田のみは別格で大平内閣で自治相、中曽根内閣の官房長官、宮沢内閣で副総理など休む暇なく要職を歴任。
総理大臣候補に何度かなりましたが、高齢を理由に固辞します。

96年に政界引退。以降、政界のご意見番として存在感を発揮。
本年9月19日、肺炎のため死去、正三位に叙されました。享年91。
政治家で女優・水野真紀の夫である後藤田正純は実兄の孫に当たります。

詳しくは下記を
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E8%97%A4%E7%94%B0%E6%AD%A3%E6%99%B4 


さて、後藤田が政界入りしたばかりの1978年のこと。
現職の総理大臣・福田赳夫に幹事長・大平正芳が挑んだ自民党総裁選挙がありました。

現職の総理が総裁選で負けた例はそれまでなく、福田も「世界が福田を必要としている」と自信満々でした。
しかし後藤田が所属した田中派は不利といわれた大平をかつぎます。
そのとき後藤田は大平選対の参謀長のような役割を担い、辣腕を奮うのです。

そして大平は圧勝し総理になります。
この「弱者逆転劇」は、いかにして成しえたのか。


▼勝敗の決勝点を見極める▼


1978年の自民党総裁選は、自民党史上はじめて総裁予備選が導入されました。
全国の約150万人の党員を有権者にして有権者千人あたりを1点と換算した持ち点を都道府県単位で設定、総計約1500点のポイントを取り合うのが予備選です。

その後、国会議員のみ本選を行い、総裁を決めるというルールです。
立候補したのは福田、大平、中曽根、河本の4名。
勝利を確信していた福田は「予備選に負けたら本選には出ない」と言明していました。

新聞各紙は福田900点、大平は2位にはつけるが400点に満たないダブルスコアを予想していたのですから、福田が自信を持つのは当たり前です。
なぜ、新聞はそう予測したのか。 

その最も大きな原因は、最大の都道府県である東京に大平がめっぽう弱いことでした。
有権者8万人・持ち点102点を持つ大票田の東京は中曽根派が強く、次に福田、河本の順で、大平はほとんどゼロという状況。
大平派、田中派の代議士が東京にはいなかったからです。

そんな劣勢のなか、大平選対の参謀長格に就任した後藤田は対策本部を設置、党員名簿を調達、田中派の議員秘書などを動員し、訪問・電話で攻勢をかけます。
そして、予備選の天王山・決勝点である東京攻略の戦略を練ります。


▼ローラー作戦▼


後藤田は東京の有権者8万人(世帯・事業所数としては、その1/4程度の2万軒程度と思われる)全軒をローラー訪問し、大平支持を訴える東京攻略作戦を企て指揮します。まさに頂上作戦です。

もたもたやっていたら他陣営の抵抗や妨害に合いかねません。
そこで訪問員を260名動員、二人一組で、約2万軒を3日間で訪問する短期集中の物量戦を敢行することにしました。

1日50軒訪問するというすさまじさ。

そのため、後藤田はヘリコプターを飛ばしたといわれています。
ヘリで航空写真を撮り、地図にして党員宅に印とつけ、最短距離で訪問できるように訪問経路をあらかじめ作って訪問させたのです。

一夜城をつくるがごとく、大平は東京に橋頭堡を築きました。
その結果、大平は東京で42点(得票率41.2%)を獲得、全国でも748点となり2位の福田(638点)に100点以上の差をつけ予備選を大逆転。
福田は「天の声にもときには変な声もある」との名言を残し本選を辞退、大平が総理総裁に選出されるに到ります。

この大逆転劇により田中は「キングメーカー」「闇将軍」と呼ばれるようになり後藤田は「カミソリ後藤田」「日本のアンドロポフ(警察出身という意味で)」といわれ、顕職を歴任することになるのです。


ちなみに、このとき福田陣営の若手議員(今のタイゾー議員のようなもの!?)として悔しさを味わったのが小泉現総理です。


78年というとランチェスター戦略を体系づけられた故田岡信夫先生がバリバリに活躍されていて、経済界ではランチェスターブームが巻き起こっていたと聞いています。先生はビジネスにおいて地域を攻略する実戦体系として「ローラー調査」を提唱されていました。 その影響があったのかもしれません。

なお、ランチェスター地域戦略は、その後、選挙戦略への応用がなされます。
戦争も選挙もビジネスも地域の奪い合いという点では同じだからです。



投稿者 戦国マーケティング : 2005年12月28日