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松江城の堀を遊覧する「堀川めぐり」“春のうらら”を感じます
400年前に松江を開府したのは堀尾吉晴。
昨年のNHK大河ドラマで生瀬勝久が演じた山内一豊の同僚。
一豊との出世競争で常に一歩先んじていながらも終始、
一豊と仲のよかった好人物として描かれました。
一豊には名馬伝説があるように、吉晴にも伝説があります。
(一豊の名馬伝説は拙著「一点突破の法則」140ページ参照)
⇒http://amazon.co.jp/o/ASIN/4534042027/sengoku-22/ref=nosim
桶狭間の合戦の後、尾張の信長は三河の松平元康(後の徳川家康)と
同盟し、攻撃対象を美濃の斉藤氏に絞り、美濃攻めを開始します。
この頃、信長の部下のなかから木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が
美濃攻略の戦略上の要衝といわれた墨俣に「墨俣一夜城」築いたり、
調略(敵の武将を寝返らせる)するなど活躍し、台頭してきます。
そして美濃稲葉山城攻めのクライマックスは
稲葉山城に猟師しか知らない獣道を通ってゲリラ的に侵入。
城内に火を放ち、落城の決め手となりました。
この稲葉山城こそ、後の岐阜城。
信長が「天下不武」を唱えた城です。
(天下不武は拙著「一点突破の法則」50ページ参照)
⇒http://amazon.co.jp/o/ASIN/4534042027/sengoku-22/ref=nosim
さて、そのゲリラ的奇襲戦法ですが、
藤吉郎たちを城内に案内したのが猟師の茂助(もすけ)です。
この猟師の茂助こそ、後の堀尾吉晴その人なのです。
⇒http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E5%B0%BE%E5%90%89%E6%99%B4
という話を松江の人にしたところ、
「あぁ、そうですか」と、吉晴伝説に対する反応はイマイチ・・・。
あれ? マニアック過ぎましたかね。
堀尾吉晴は生駒親正、中村一氏とともに
豊臣政権の三中老といわれた武将で、
山内一豊よりもワンランク上の格付けの武将であるにもかかわらず、
松江の人は吉晴に対する思い入れは薄いようです。
・外様大名だった堀尾氏は三代で改易となっている。
・その後、徳川家康の孫である松平氏が松江に入り
出雲松江藩は明治に至るまで「親藩」であった。
・その松平の殿様の中に、茶人大名として名高い
「松平不昧(ふまい公)」がいる。その影響から、
松江は茶道が盛んな「和菓子」の街であり、
武家屋敷が残る小京都の趣きを今に伝えている。
・甲府で武田信玄を信玄と呼び捨てにする人がいないように、
松江では不昧は「不昧公」と敬称で呼ぶのが常識。
私も、出張中は「不昧公」で通した。
・さらにそもそも、出雲には戦国時代には尼子経久という英雄がいる。
(大河ドラマ「毛利元就」のとき、緒方拳が演じていました)
・もっというと出雲は神話の国。
オオクニヌシやらスサノオなど、ご当地スターに事欠きません。
なので、堀尾吉晴は松江城を建設し、
出雲の国の中心地を松江に定めた人物でありながら、
ご当地では人気いまひとつなんでしょう。
歴史上の人物の人気も相対的なものなのですね。
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