ランチェスターの法則、ランチェスター・ブログ。福永が行く(社長日記)、舞鶴城(京都府)へ行く 07/03/10。。

ランチェスター戦略を伝道する福永雅文の公式サイト      
会社概要お問合わせ      

>ランチェスターの法則 わが理念。:ランチェスターの法則、専門コンサルタント

経営戦略のバイブル

舞鶴城(京都府)へ行く 07/03/10

丹後田辺城(舞鶴城)二層櫓

京都に海があることは意外に知られていません。
 
京都は盆地で海の魚がとれないので、うんぬん、とよく言われますが
それは旧国でいうところの「山城の国」、今でいうところの「京都市」を
示したものです。
 
現在の京都府は京都市を中心とする南部の「山城」と
その北方の山間部の「丹波」そして、
さらに北方の日本海に面する「丹後」の三国から成り立っています。
 
なお「丹波の国」は現在の兵庫県にもまたがっています。
京都の山奥も、神戸の山奥も「丹波」です。
さらに、その奥の日本海に面するところに
京都には「丹後」、神戸には「但馬」があるということです。
 
京都市や神戸市だけで京都府や兵庫県は捉えきれませんよ。
 
 
さて、舞鶴は軍港と「岸壁の母」の舞台となった引き揚げの帰還港として
一般には知られていますね。
 
でも、有名な城下町だったことも、これまた意外に知られていません。
 
関が原の合戦の際に、細川幽斎藤孝が立て篭もった丹後田辺城は
鶴が舞うがごとく美しい姿をしていたことから、別名「舞鶴城」と呼ばれ
舞鶴市という名称がつくに到ります。
 
本能寺の変のときは、幽斎の嫡子・忠興の妻・玉(明智光秀の妻)が
幽閉されたのは、丹後の山奥の味土野(現在の京都府京丹後市弥栄町)
というところ。後の細川ガラシャです。
 
 
私(福永)は戦国の世で誰が一番世渡りが上手かったのか、
と問われれば、細川幽斎藤孝であると即答します。
なぜ、そうなのか、その決定的な出来事が1600年、舞鶴城で起こりました。
━拙著「ランチェスター戦略『一点突破』の法則」━に書きました。
ご興味ある方はご覧くださいませ。


投稿者 戦国マーケティング : 2007年3月15日